レストラン「ラ・メール ザ クラシック」

「賢島」という土地の空気

志摩時間 2020年秋号より

レストラン「ラ・メール ザ クラシック」

レストラン「ラ・メール ザ クラシック」

真珠王と呼ばれる御木本幸吉が真円真珠の養殖を開始したのは、英虞湾にある多徳島という離島。養殖成功後、英虞湾には世界中から人が訪れるようになりました。
戦後、国立公園でもある志摩に国際的なホテルが必要であるという意見が三重県を中心とした関係者で話し合われ、賢島に戦後初となる純洋式のホテルとして志摩観光ホテルが開業しました。
開業当時の専務であり、後に社長となった川口四郎吉の著書によると、始めの10年は棘(いばら)の道だったとあります。水の確保、賢島までの電車もなくバスで送迎、また1959年には伊勢湾台風により甚大な被害を受けました。そんな中でも川口社長はサービスには品格が大切と考え、スタッフ一人ひとりを手厚く教育しました。そのおもてなしは「賢島ホスピタリティ」と呼ばれ今も受け継がれています。

開業間もない頃から皇室をお迎えするなど、伊勢志摩の迎賓館としての役割を担いつつ、旅館を含め、施設を増やしていきました。大阪万博の前年には志摩水道が完成し水不足の問題も解消。近鉄特急が賢島に乗り入れ、ホテル新館が誕生し、志摩観光ホテルは国内最大客室のリゾートホテルへと成長しました。
今でも東京から電車で約4時間。抜群の立地ではない中、料理とともにそのおもてなしは、顧客に愛され続けています。今回はホテルの語り部が、受け継がれてきた「おもてなしの心」を語ります。

「ラ・メール ザ クラシック」から望む夕景

「ラ・メール ザ クラシック」から望む夕景

営業支配人でソムリエの椿 知也さんは今年で勤続37年目。現上皇上皇后両陛下がご宿泊されたときに給仕を担当するなど、レストランサービスの要を担ってきました。
24歳で入社した当時の頃を振り返り「自然に抱かれた立地や佇まいが若い私には別世界でしたね。またお客様の品格が高くて、ここは空気が違うと感じました。御木本幸吉氏の御令孫が年間100日くらいご宿泊され、ホテルから鳥羽にあるミキモト真珠島まで通われていました」。すでに鬼籍に入られていますが洒脱(しゃだつ)で機知に富んだお人柄は、今でも憧れの人だそうです。「若い私達にも親しく接していただいたのは幸せなことです」。仕事で上司に叱られ、落ち込んでいたときも励まされたといいます。「『見ている人はちゃんと見ている。がんばりなさい』。その言葉に感激しました」。

今の仕事のきっかけにはこんなエピソードが。「会社の先輩と将来どの部署で働きたいかという話をしていた時のことです。一緒にいた同僚は総務部や企画部と答えていましたが、私は高橋さん(第5代総料理長)と働きたいと話しました。今思えば恐い物知らずでしたね。おかげで高橋シェフと、食とサービスに厳しい目を持つお客様に随分と鍛えられました」と、懐かしそうに話します。
「都会のレストランは、食事がメイン。ディナーの限られた時間で最大のパフォーマンスを求められます。対して志摩のようなリゾート地では、宿泊も含めご滞在時間の全てが一つのサービス。スタッフが同じ想いでおもてなしをしなくてはいけません。都会とは正反対の魅力を持つこの地は、特別な場所なんだと改めて実感しています」。

レストランサービス一筋の椿営業支配人

レストランサービス一筋の椿営業支配人

志摩観光ホテルの30周年記念社内誌「浜木綿」には、ホテルを設計した昭和を代表する建築家、村野藤吾氏からの寄稿文に以下の一節があります。「志摩観光ホテルは自他共に許す日本における屈指のリゾートホテルである。しかし、吾れ吾れには、志摩観光ホテルといえば特殊の感触があるように思う。絶景もさることながら、それを生かして一種の響きがある。感触の良さと響きの余韻に洗練されたものがあるからであろう。人は、これを独得のホスピタリティという」。椿さんはホスピタリティをどう捉えているのでしょうか。「私は37年間のホテル人生のほとんどをレストランで過ごしています。サービスをする中で、部下がお客様から誉められることが一番嬉しいですし、逆にご注意を受けることもあります。部下がお客様からお叱りを受けていた時のことです。私は別のお客様から呼ばれ『叱られているときでも背筋を伸ばして凜としていなければウェイター失格だ』と諭されました。お客様が『志摩観光ホテル』のスタッフとしての有り様を教えて下さるのです。私は『大切なことの多くはお客様に教えていただいた』と思っています」。椿さんは続けます。「ホスピタリティは自らの意識とお客様の支えによって成長するものと感じています」。
高橋料理長にもよく指導を受けたという椿さんは、若い部下を率いる立場になり思い返すことがあると話します。「高橋さんは仕事に厳しい方でした。でも今思えばそれが私達のおもてなしの原点で、忘れてはいけないことなのです」。

高橋料理長といえば29歳で料理長に就任し、海の幸フランス料理で当時の業界に革命を起こした料理人。「料理長自己流というスタイルを定着させ、後に続く宮崎名誉料理長、樋口総料理長に、料理長とはどういうものかと、その姿を見せていました。こうした積み重ねがホテル伝統の料理として今も継承されているのだと思います」。歴代料理長とともに仕事をした椿さんにそれぞれの印象を聞きました。「高橋さんは厨房の『カリスマ的支配者』、宮崎さんは緻密な『美食の探求者』、樋口さんは『果敢な挑戦者』。完成することなく進み続ける人ですね。彼女は今まで以上に地域の食材を使い、新しい料理を作り出しています。今でこそローカルガストロノミーが叫ばれていますが、高橋さんの時代には既に概念として完成させていました。それを樋口総料理長がこれからどう進化させていくのか楽しみにしています」。

以前はオードヴルの定番としてお出ししていた、高橋さんが考案した料理のひとつです。昔から通われている常連のお客様からは「もう一度食べたい」とお声をいただくこともある思い出の一品です。
白いお皿に車海老の赤と白、ソースの緑、ドレッシングの黄と、色彩の美しさがあります。また甲殻類、アボカド、マヨネーズソースは相性が良い組み合わせでキャビアで塩分と食感にアクセントを持たせています。車海老を美しく真っ直ぐの姿にするためには串打ちしてから熱を加えます。海老の下にはマヨネーズで調味したアボカドの角切りをたっぷりと詰めて。また必要以上に野菜などを添えない削ぎ落とされた盛り付けの美しさは何とも日本人らしい感性であり、時代が変わっても色褪せていません。目に美しく計算し尽くされた美味しさは、高橋さんの料理哲学そのものだと思います。

取材日:2020年7月

伊勢志摩の地は、ゆるやかな時間の流れに合わせて、表情を少しずつ変えながら、四季折々の味覚や色彩を私たちに届けてくれます。
そんな季節の移ろいとともに、志摩観光ホテル季刊誌「志摩時間」では、地元の文化や豊かな自然などを通じて、伊勢志摩の四季をご紹介しています。

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